古式打毬について
豊烈神社に伝わる古式打毬は宮内庁、青森県八戸市の打毬と共に我国に残る三つの打毬の一つです。
打毬の起源は非常に古く紀元前6世紀古代オリエントのペルシャ(現イラン)までさかのぼり、西欧に伝わるものは『ポロ』
となり、シルクロードを東進し唐(現中国)を経て平安時代に伝えられたのが我国の打毬の始まりです。
現在行われている打毬は、八代将軍徳川吉宗によって復興されたもので、馬術と武術を兼ねた勇壮なものでした。
文政四年(1821年)十一代藩主水野忠邦公が、藩祖水野忠元公(豊烈霊神)を祀る神社を浜松城内に創建された際、
忠元公の亡くなった十月六日を例祭日と定め、神事として打毬を奉納されており、現在まで継承されてきました。
その形式・方法とも現在宮内庁に伝わるものとほぼ同形であり、昭和25年5月27日に三笠宮崇仁殿下をお迎えし
宮内庁と交流試合を開催しました。